今月のスタッフ

一覧用

杉村裕之

2018.9.1

杉村裕之

名人の形見となった祭りごっつぉ(ご馳走)

新聞記者の駆け出しから36年、取材で伺った方が記事の出る前に亡くなるという経験を初めてした。奥能登の旧柳田村で、発酵食の“なれずし”をつくらせたら名人といわれた山下勝男さん(享年80)である。天晴れ北陸の取材が来るのを楽しみにされていたそうで、慈父のような優しい目が印象的だった。

 

山下さんによると、豊年満作を祝う秋祭りのごっつぉの主役は赤飯と“なれずし”<当地では老鮨(ひねずし)>と決まっていて、かつて村では青葉の季節を迎えると、川を遡上してくるサクラウグイを捕り、ご飯と山椒の葉、鷹の爪とともに木桶に漬けこんだ。湿度と気温のあがる梅雨を越すことで、ご飯の発酵が進んで増殖した乳酸が魚のタンパク質をうまみ成分に変え、素朴だが贅沢な山里のごっつぉに変身するのである。ただ、小魚を下処理する手間や発酵中の腐敗を防止するこまめな見回りの労が嫌われ、今や旧柳田村で“なれずし”をつくるのは数名だと山下さんは残念がった。

 

例年になく梅雨が早く明け、取材に訪れた7月上旬、今年漬けた桶を初めて開けるという名人の顔には少し緊張がうかがわれた。蓋を取り、粥状になった飯(いい)と青鈍(あおにび)色になった山椒の葉をよけると、下から鮮やかな青みを残した小魚が姿を現した。

山下さんはすぐに1匹を口に運び、魚とまわりについた飯を吟味するようにかみしめた。瞬間、「うん、うまい」と笑顔がこぼれた。ちなみに魚はアジで、サクラウグイが河川改修の影響でほとんど遡上しなくなったのと、新鮮な海の幸が簡単に手に入るようになり、あれこれ試した結果、「アジが一番、味がいい」(山下さん)となった。

私もその場で相伴したが、ヨーグルトを数倍、濃厚にした酸味が口いっぱいに広がった。同時に、爽やかでかすかな辛みも感じた。アジは乳酸の力で骨が溶け、しんなりした身には酸の効いたうまさが詰まっていた。

記事詳細用

山下さんの“なれずし”は、屋号から“甚六の老鮨”で知られていた。しかし、自宅で食べるほかは近所や親せきへのおすそ分けだけで、食べた人に「おいしかった」と言ってもらうのが無上の喜びだった。

天晴れ北陸でも、名人からのおすそ分けとして販売の了解をいただいていた。それが可能だったのは、能登の食文化紹介でお世話になっている「能登ワイン夢一輪館」代表の高市範幸さんと山下さんが従弟同士というご縁からである。

名人最後の“甚六の老鮨”をぜひ味わってほしい。そして、「おいしいね」のひと言を添え、今は亡き山下さんへの手向けとしたい。合掌。

甚六の老鮨は下記の商品ページからご購入できます

石川・能登伝統の老鮨(ひねずし)[冷蔵]

約100g(アジ4~6尾)/700円(税込)

http://appale.tokyo/hokuriku/items/naresusi

記者プロフィール

杉村裕之

杉村裕之

すぎむら・ひろゆき 新聞記者をへて金沢、東京で展開する編集プロダクション「ライターハウス」社長。金沢経済同友会幹事。裏千家淡交会石川支部幹事

09月号の記事一覧

pagetop